2023年の年末に、テレビで放映されていたものを録画して見てみました。
見終わった後は、素朴さって、こんなに豊かなことなのだと、しみじみと思いました。
あらすじ
舞台は、イタリアのトスカーナです。
傷害事件を起こし、全てを失った元一流シェフのアルトゥーロは、仮出所後に、社会奉仕活動として自立支援施設「サン・ドナート園」での社会活動を課せられます。
アルトゥーロの仕事は、ドナード園に通う子供たちに料理を教えること。
アルトゥーロは、子供たちを前に、開口一番、こう言います。
「世界に必要なのは、完璧なトマトソースだ。決して、スズキのチョコレートソースかけではない!」
私はこれを聞いて、トマトソースに特にこだわりを持つシェフなのかなという程度にしか思いませんでした。
ですが、物語を最後まで見ると、この言葉の持つ意味が、スッと入ってきます。
この映画の主題は、この言葉に集約されていると言っても過言ではありません。(あまり書くとネタバレになりますので、止めておきます)
アルトゥーロは、ドナート園で、天才的な味覚を持つ、アスペルガー症候群のグイドと出会います。
そして、グイドがトスカーナで開かれる「若手料理人コンテスト」に出場することになり、アルトゥーロは指導役として彼に同行することになります。
デコボココンビの二人旅がスタートします。
旅の中で二人は、お互いの人生や考え方に触れあいます。
育ててくれた祖父母から早く自立して、心配をかけないようになりたいとのグイドの願い。
面倒事に巻き込まれたとの思いが、グイドとの触れ合いを通じて徐々に変わっていく、アルトゥーロの熱意と優しさ。
そして、最後に待っている、アルトゥーロの人生の大きな選択。
人生の選択にあたって大切にすべきこととは何か、この映画は問いかけている気がしました。
是非、ご覧ください。
個人的にとても好きなシーン
個人的にとても好きなシーンを2つほど、ご紹介したいと思います。
綺麗に並べられた小物
映画の冒頭は、財布、ハンカチ、時計など、刑務所から仮釈放されたアルトゥーロの持ち物が、刑務官によって机に綺麗に並べられるシーンから始まります。
よく考えられた映画ほど、冒頭のシーンがしっかりと意味を持っているものですが、この映画もそうでした。
グイドは、寝る前に、ベッドわきのテーブルに自分の小物を綺麗に並べる癖があります。
冒頭のシーンは、アルトゥーロのグイドとの出会いを暗示しているように思えるのです。
また、私がいいなと思ったのは、それだけではありません。
アルトゥーロは、わざと、グイドが綺麗に並べた小物の配置を変えてみます。
すると、グイドはすぐに気づいて起き上がり、綺麗に並べ直してから、また目を閉じます。
それを見たアルトゥーロは、優しい笑みを浮かべます。
この表情が、私はとても好きです。
決して、からかっているわけではないのです。
それがグイドらしさなんだと、アルトゥーロが親しみをもってグイドを受け入れた表情のように、私には感じられました。
障害特性としてではなく、その子の個性として受け入れたアルトゥーロの優しい笑みが、私の心に残りました。
こじんまりとして、賑やかなレストラン
二人旅で、アルトゥーロはグイドを、ある地元のレストランに連れて行きます。
そこは、人々が普段着のまま楽しく会話し、賑やかで、太陽の光が差し込み、明るくて、おいしい料理と人々の笑顔で輝いているレストランでした。
「生きている、これこそ生きているということだ」
アルトゥーロは、ワイン片手に、グイドに熱く語ります。
グイドは、アルトゥーロが飲みすぎないように、ワインのデキャンタを抱えて隠しますが(笑)、アルトゥーロが熱くなったのは、決してお酒だけのせいではないと思います。
そして、物語の終盤。
アルトゥーロは、任されたレストランの店内を見渡します。
シックで高級感が漂う店内。
テーブルクロスの上には、整然と並べられたお皿やナイフ・フォーク。
それを無言で見つめるアルトゥーロ。
誰もが迷い、悩みながら、人生の決断をする。
その決断の時に、何を大切にするのが問われるのだと思います。
この無言のシーンが、とても心に残りました。
補足
ちなみに、少しだけ濃厚なラブシーンも出てきますので、大人だけでご覧いただいた方がよいかと思います。